自己紹介
こんにちは、エンペラーちゃんです。
今日は、初めて私のことを知った方も
いらっしゃると思うので、自己紹介をします。
私は、新入社員で(株)ナイスクラップに入社して、最初は同期の誰よりも失敗する人間でした。
失敗と言っても、それは事務仕事で接客は、母のスナックを手伝っていたのもあって、誰に教わることもなくスッとできて、私が着る洋服はすぐに完売し、売っては着てを繰り返すカリスマ販売員と呼ばれるようになりました。
私は、その結果を受けて同期で一番最初に出世して、ラフォーレ原宿店の店長になりました。
そこで売上を全国1位にして
失敗ばかりしていた私を知っている先輩には、もの凄く驚かれたのを覚えています。
売上は順調だったある日、私を採用した専務が会社を辞めました。
すると社風も変わり、今までの社風が好きだった私は合わなくなり、入社当時に掲げた目標の「3年目で店長になる」も叶っていたので、辞めることにしました。
辞めてしばらくすると、専務から連絡があり、「大人のためのセレクトショップを作りたいので、マネージャーとしてやって欲しい」と声をかけられ
私はすぐに承諾しました。
ゼロからのお店作り。
マニュアルからコンセプト、スタッフ、店舗内装まで専務から任せられ
ゼロから全部案を出して完成しました。
いよいよオープンして試行錯誤しながらスタッフと共にお客様に愛されるお店となっていきました。
仕入れで海外にも行くようになり全ては順調かと思われましたが、そうではなくなっていきました。
専務がナイスクラップの時と同じような経営を続けていて、私と意見がわかれました。何度話し合っても受け入れてもらえませんでした。
この頃から、私はプレッシャーとストレスでお酒に溺れていきました。
お店にも行きたくなくなり眠れなくなり心身が壊れました。
その後お店は閉店し、8年の幕を閉じました。
ようやく苦しみから解放されると思った矢先、母からスナック経営をお願いされました。
実はずっと断り続けていたのですが
ボロボロだった私の一縷の望みは
経営者になれば、誰の意見も聞かずにできる!と言うことでした。
母には、そのことを伝え、真っ先にやったのは価格を大幅に上げたこと。
母は大反対でした。
でもどうでしょう。
価格を上げたことで今までのお客様は全員いなくなり、新しいドMの経営者の方々が四方八方からタクシーに乗ってくるお店になったのです。
お店が軌道に乗り出すと母はお店に来なくなりました。
そして、段々と生きる気力を失っていき、私が継いで3年目に亡くなってしまいました。
母子家庭で育った私は、自分の右腕をもぎ取られたような喪失感で毎日泣いて暮らしていました。
そんなある日、ひとりの男がお店に入ってきました。
すると、その男は検察官を名乗り、毎日お店に来るようになりました。
喪失感と寂しさでぽっかり穴が空いていた私は、寂しさを埋めるために交際を始めます。
時が経つにつれ、周りの人のおかげで徐々に私の心は少しずつ回復していきました。
そうなってくると、最初から怪しいと思っていた男と別れたくなり別れ話をすると、逆上して私のほっぺたを殴ろうとして空回りました。
その時に110番して警察が家に来ると、男の名前も年齢も全部嘘でした。
そこからストーカーが始まり、
1ヶ月後、私は男にスタンガンで襲われ、首を絞められ殺されそうになりました。
意識が遠のく中、私の口からは、
なぜか「愛してる」と漏れ、男の手が一瞬、緩みました。その時に全身の力を振り絞って起きて、近くにあった花瓶で男の頭を思いきり殴りました。
そして、その隙をついて玄関を開けると近所の人が立っていて、私は泣きながら抱きつき警察を呼んでもらいました。
そこからの記憶はないですが、刑事事件として男は立件され、判決は1年6ヶ月の実刑、執行猶予なしでした。
裁判が行われている期間に支えてくれたのは、今の旦那さんでした。
私は犯人が怖すぎること、東京から出たいことを伝えて沖縄に移住してから結婚しました。
沖縄にいても家から出れない、何もできないのが2年くらい、その後少しずつ回復していく中で、知り合った人に
「あなたのその経験を人に話したら良い」
と言われ、講演会をすることになりました。
講演会では涙する方も多く
「ありがとうございました」と沢山の方に言って頂き、私は自分の経験を話して勇気を与えることができるなら、それを仕事にしようと思い、沖縄で個人コンサルをちょこちょこやるようになりました。
すると、東京からもやって欲しいと言う声を頂き、zoomで提供するようになっていきました。
私自身も、段々元気になっていく中で
もう一度本格的に仕事をしたいと思って、東京に戻りました。
そして、本格的に仕事を再開すると、個人コンサル、グループコンサル共に即満席。
私はびっくりすると共に、私の経験で
受けた方々が良くなっていく姿を見るのが、とっても嬉しかった。
今までの絶望も喪失も全て無駄ではなかったと気がついた。
そして、私は今は、旦那さんと2人で暮らしながら、自分の経験をもとにコンサルをしています。
今までの壮絶な経験は、全て血肉になり仕事の糧になっています。
人生生きていれば色々なことがありますが、一つだけ確信しているのは全ては良い方向に行くために起きているということ。
大変だったことも全て「あれがあるから今がある」に変わります。
人生は必ず好転するし、その時あなたの今までの人生を全て肯定できます。
エンペラーちゃんと言う名前は
再始動する時に、日本では自己肯定感の低い人が多いので、それを一番高い視点まで持っていけるようになりますようにという意味でつけました。
だから、エンペラーちゃんと言う名前は私のものでもあり、あなたのものでもあります。
私と関わった人が、高い視点で物事を見て、自分自身を大切にすることで、本当の意味で人を大切にして、助けることができるようにとつけました。
今までの経験を活かして、ひとりでも多くの人に「どんな困難があっても立ち上がって乗り越えて、人生を好転することができる!」ということを私を通して知ってもらいたいです。